ホット・ハニーバニー・ストンパーズ

ホット・ハニーバニー・ストンパーズの歩み

ホット・ハニーバニー・ストンパーズって何?

1998年、名古屋で結成。バンジョー、ウォッシュ・ボード、ホーンセクションなどを含む11人編成で、時には木琴、チンドン太鼓、クラリネットやリコーダー、アコーディオンなども操る。その音楽性は幅広く、おもに戦前のジャズ、ジャグ・バンド、ポルカ、ハワイアン、様々なラテン音楽などから影響を受け、それらを大正〜昭和初期のデカダンでエロ・グロ・ナンセンスな味付けで料理。結果、戦前の流行歌の様でありながら、上海のポルカの様でもあり、チンドン屋のラグタイムの様でもある奇形的な音楽を聴かす。また圧巻なのがそのステージ。山高帽に蝶ネクタイで決めた11人の紳士達が、跳ねる、飛ぶ、回る、流血する(?)、コントする(??)、の大暴れ。現在本拠地の名古屋を中心に、人気急上昇中!

伝記

 
1998年6月 勝ち抜きバンド大会「とよたミュージックバトル」(優勝賞金50万)のテープ審査を、松石がバンドと偽って一人多重録音した「ヤングサンタ」が通過、7月25日の予選大会出場が決定する。同時にメンバー探しを開始する。
7月 最初期メンバー佐藤健太郎の尽力によりメンバーが集まりだす。
24日 予選ライブ前日深夜、初めてメンバー全員が顔を合わす。この時のラインナップは、佐藤(扇風機、ピアニカ)、森友裕(vo)、熊沢剛(木魚)、加藤裕介(g)、下沢貴光(カズー)、松岡隆(ウッドベース)、川合たかし(per)、松石(g)であった。
25日 予選ライブ当日。この日は2曲を演奏。1曲目「ヘアカット1」間奏中、熊沢が南京玉簾を振り回しながら、客席へと降りていった。この予想外の行動に松石が度肝を抜かれる。結果は予選通過であったが、決勝大会(12月)への出場はビデオ審査を待たなければならなかった。
9月 決勝大会出場通知を受ける。ちなみに此処まで勝ち残ったバンドは総勢約350の内の10バンドだったと思う。
12月 23日 決勝当日。TV収録の為、アニマル梯団(おさる現モンキッキー&コアラ)とトークするも、いいようにイジられる。熊沢がサンタの格好をし、熊のぬいぐるみを虐待するパフォーマンスをする。そして演奏後、特別審査員の河合我聞に「音楽的にどうこうって言うより…」などのむかつくコメントを頂く。結局何も入賞せず、彼らとの屈辱的なカラミが放映されただけであった。後に松石は「二度とあんなイモな大会に出るか、ボケッ!おさる、我聞、去れや!」と述懐している。
1999年1月 25日 岡崎CAM出演。5曲を演奏。「上海老酒」初演。狂乱のステージに拍車がかかるが、企画物バンドとの考えから、一旦解散する(但し、松石の心の中だけで・・・という説あり)。
8月 名古屋クアトロに出演することになり、再始動。
9月 25日 河合が抜け、市川友章(dr)、中村広一郎(per)が加入した新ラインナップでクアトロ出演。初披露した「のるかポルカ」の狼藉振りは、観客の度肝を抜く。
2000年1月 23日 今池Tokuzo出演。下澤が一時的にリタイア(原因は今以て不明)。この時のみ”マキシマム”江口がカズーとして参加。大いに会場を盛り上げた。また、新メンバー鷲見克則(ts、per)は、熊沢、中村とによる黄金トリオを形成し、そのシアトリカルなステージが話題を呼ぶ。
4月 2日 大須ジェリービーン出演。狂ったステージングがますます加速する。
6月下旬 自主制作1stアルバムのレコーディングを開始。約2週間で9曲入りフルアルバム『セレナアド』(現在廃盤)が完成。
7月 9日 レコ発記念ライブを大須ジェリービーン(現オイス)にて行う(この日は熊沢ソロアルバム『米』のレコ発でもあった)。新メンバーとして山本マ(tb)が参加。また下澤が復帰(原因は今以て不明)。この日、観客数は100を超え、超満員の会場は、暑さと酸欠で修羅場と化した。「すわ、ブレイクか?!」と思わすも以後客足は遠のく。ストンパーズ最初のピーク。
9月 3日 名古屋港野外特設ステージで行われた、[ロックンロール・グラフィティvol.4]に参加。一般見物客の幼児らを巻き込んで大暴れ、演奏が終わってみればステージ上には数人のみという惨状を呈した。
24日 寿司処五一にてお座敷ライブ。
10月 22日 新栄アポロシアター出演。 このころ山本マがいつの間にか、いなくなる。
2001年4月 29日 今池まつり出演。この時、松石のシンバルが中村の額をヒット、大流血するもそのままライブを続行。終了後病院へかつぎ込まれ、三針ほど縫う。
7月 22日 名古屋JBスタジオにて初ワンマンライブ。このころ鷲見がいつの間にか、いなくなる。
8月 19日 栄ケントスにて[ストンパーズde夏まつり]開催。ストンパーズがオールディーズを演奏するという異色の場面もあった。この日をもって松岡が脱退。
新ベーシストとして、岩佐シンゴが加入。
10月 21日 名古屋商科大学祭出演。岡本サトシ(tp)が加入。
11月 24日 今池TOKUZO出演。この3日前、加藤が左足を骨折し入院する。
2002年2月 自主制作2ndアルバム『熱風』(現在廃盤)が完成。
6月 Ten121氏の尽力により、人気スカ系コンピレーション・アルバム『スカミカゼ2』に『熱風』より“ロマンス仁丹”が収録される。はじめてその名が全国区に。同時に多方面からライブのオファーを受ける事となった。
8月 3日 名古屋クアトロ出演。加藤が3曲目で突然発狂しギターを紛糾、再度左足を骨折する。
10月 12日 渋谷デセオにて初の東京公演。客、共演者より大絶賛を浴びる。
2003年3月 自主レーベル「パラミッタ・レコード」より初の全国流通版CD(『セレナアド』『熱風』よりのベスト的内容プラス新曲)を発売すべく、松石宅にある“ゲル・スタジオ”にてレコーディングを開始。
4月 19日 下北沢クラブ251にて、「赤犬」と初共演。
8月 レコーディング終了。タイトルは『ご機嫌よう』に決定。
9月 20日 今池まつり出演。それまでストンパーズの一ファンだったこけし(この時点はパフォーマンスのみ)が特別参加、素晴らしい動きを見せ、メンバーを感服せしめる。
10月 19日 大須演芸場にて『ご機嫌よう』レコ発記念ライブを行うも、印刷所のミスでジャケットが完成せず、現物が届かないままのライブとなった。東京のシャンソン女子二人組「前肩」が共演。客席には満員御礼の札が下がった。
21日 全国の有名CD店にて『ご機嫌よう』発売開始。
11月 3日 今池TOKUZO出演。共演の「くものすカルテット」にストンパーズ・ファンをごっそり持って行かれる。
24日 タワーレコード名古屋パルコ店にて、『ご機嫌よう』発売インストア・ライブを行う。
28日 名古屋シネマ・スコーレにて行われた「エノケン映画祭」に神田山陽氏とともに出演。この時、中村が間違えて今池シネマ・テークに行くという失態を演じる。
2004年3月 13日 ダイヤモンド・ホールにて行われた「アングラ・ポップ」に出演。この日より、こけし(per)正式加入。
6月 26日 愛知県江南市市民会館にて、障害者施設による催し「くろーばーこんさーと」に出演。ラストナンバー“のるかポルカ”では、20名を越すストンパーズの扮装をした施設の子らがステージに乱入。死闘を繰り広げた。
8月 1日 名古屋大須商店街が主催する、「大須夏祭り」に参加。アーケード商店街で、二時間近くに渡る、練り歩きライブを敢行。
9月 25日 名古屋クアトロにて人気スカ・バンド「ドーベルマン」と共演。埋めつくされたフロアから黄色い声援を浴び、かなりいい気分となる。
10月 31日 下北沢ベースメント・バーに出演。アンコールの熱い声援を浴び、またしてもいい気分となる。
12月 26日 今池TOKUZO出演。人気ロック・バンド“騒音寺”との対バンで超満員となる。
2005年1月 8日 磔磔にて初の京都公演。いろんな意味で好感触。
9日 前日の共演者とともに、今池TOKUZO出演。
2005年4月 29日 今池TOKUZOにてあの”サンハウス”の柴山氏、”ルースターズ”の花田氏と対バン。硬派な客にギャグが通じない。
5月 3日 鶴舞ロックフェスティバルに出演。この日をもって市川友章(dr)が脱退。
6月
18日 高円寺UFOクラブ出演。ドラムスがいない為、ゲルが改造スネアを担当。あと外国人さん達にやたらとウケる。
7月 30〜31日 今池TOKUZO→磔磔の名京ツアー。この時のみヘルプ・ドラマーとして名古屋の超絶セッションドラマー、片桐氏(現グレイビー・ソース)を迎える。ライブでは甘んじて”寅さん”ファッションに紛してくれたが、どう見ても本職にしか見えなかった。
8月 このころ、ゲルのバンジョーのネックが折れているのが発見される。
9月 23日 知り合いの結婚式にて演奏。この時は佐藤、ゲルは欠席、ドラムに前任の市川を迎えて行われた。
10月 15日 渋谷 乙に出演。ゲストとして、秘密兵器”長良川かっつん”初参戦。以降なし崩し的に正式メンバーにされる。また、ゲルがドラムに転向。しかしステージ後方にいくのをいやがり、自作の簡易ドラムセット”うすうす(愛称)”を用いて、前のポジションに居座る。
11月 6日 クラブ・ロックン・ロール(名古屋)出演。若人バンド達に囲まれてのライブに、老いを痛感する。
12月 29日 恒例の忘年会がしめやかに営まれる。
2006年1月 7〜9日 正月早々、京都〜大阪〜名古屋ツアー。但し、下沢、中村は家庭の事情により名古屋のみ参加。またこのツアーには映画監督である中村研太郎氏がカメラを持って同行。京都の宿で酔って奇行に及ぶ加藤、由緒ある寺社でシラフで奇行に及ぶメンバー、楽屋でのお色気着替えシーン、などが克明に記録される。
2月 11日 名古屋市守山区主催のイベントに出演。場所は守山文化小劇場というキャパ500人くらいのホール。冒頭の厳かな表彰式が終わって、幕が上がると我々が演奏開始、という異常事態。客席中央に設けられた来賓席に向けてギャグに打って出るも、全く通じない。
3月 18日 鶴舞デイトリップ(名古屋)に初出演。対バンは”水中、それは苦しい”さん。
2006年4月
このころニューアルバムに向けての録音を開始する。
16日 下北沢440に出演。本格的にルーツ音楽を追求しているバンドに囲まれ、我々のインチキ性が浮き彫りにされる。
5月 20日 新アルバムの付属DVD用の撮影が、愛知県庁付近にて行われる。一般通行人の冷たい視線をよそに、裸になったり、公園のトイレを占拠したり、自転車に10人乗りしたり、2人一組でコ○ドームを買ったりとライブ以上に大奮闘。詳しくはDVD参照のこと。
21日 昨日に引き続き、朝8:00より撮影開始。まず愛知県豊田市にある岩倉神社でのPV撮影、その後足助町の旧街道を練り歩き、夜は池下UP SETでのライブを収録。
6月 17日 池下UP SETでライブ
7月 4日 アルバムレコーディング及びミックスダウン終了。締め切り当日まで録音していたというドタバタ劇であった。
23日 TOKUZO出演
9月 2日 今池まつり参加。白塗り舞踏女子2人組「どりいむ」を引きつれ、今池商店街を練り歩きライブ。最後は特設ステージで待ち受ける「爆乳シスターズ」さんと合流。収拾のつかない事態となる。
17日 TOKUZO出演
10月 9日 新栄クラブ・ロックンロール出演。東京のお色気女子軍団「デリシャスゥイートス」と変態牧歌トリオ「PIGGY」と共演。
11月 23日 熊沢剛、高円寺円盤で弾き語りライブ。
12月 1日 松石、佐藤、森、岩佐の特別編成バンド「非凡パンチ」で鶴舞KDハポン出演。ストンパーズ・ナンバーのほか、変てこラウンジ・ジャズといった趣のナンバーをインストで演奏。また共演の「ホライズン山下宅配便」のあまりの凄さに衝撃を受ける。
2日 池下UP SETにてイベント「イーマーズ・ゴーゴー」に出演。沢山のグルーヴィーな出演者の中、トリをかざらせてもらう。
9日 渋谷LUSHに出演。浅草ジンタ、侍ダイナマイツといった男気あふれる人気バンドと対バン。客も共演者もマッチョ&タトゥー&コワモテばかりで、ビビりながらのライブ。「へのつっぱりはいらんですよ」(松石述懐)。その夜、一部メンバーは明日の「青い部屋(渋谷)」出演の為、東京滞在。目黒の下町風銭湯の狭い浴槽で裸で語らうも、あまりの密着度にホモ的行為への発展が懸念される。その後居酒屋を経由して一同ホテルへ。
10日 午前中、皆で南青山の岡本太郎記念館へ。プリミティブなパワーを頂く。夜は渋谷・青い部屋でのライブ。この日は熊沢、松石、佐藤、森、岩佐、かっつんの特別編成「クールハニーバニー・ストンパーズ」として出演。熊沢ナンバーを中心にドロドロした情念渦巻く世界観をプログレチックに展開。途中、楽屋にあった戸川昌子等身大パネルと踊りながらかっつん登場。あまりにブンブン振り回すので松石は大層肝を冷やした。
30日 恒例の忘年会がさらにしめやかに営まれる。
2007年1月 6,7日  毎年恒例の新春ツアー、京都(磔磔)〜名古屋(得三)。野村真紀さん、サロメさん、もじさんという女だらけの共演者だった為、ライブ後の打ち上げに命を賭ける。
2月10日 有松絞りで有名な、名古屋市有松地区の音楽祭に出演。会場はメインステージではなくサテライト会場の「ピンポンハウス」。 ここはなんと昭和40年代築とおぼしき、木造平屋の公民館だった!こういう場所は燃えます!!地元のガキんちょ、中坊、ご年配の方々約40名が見守る中、会場が倒壊せんばかりの大熱演!ライブ後、ボランティアの奥様方にご飯をふるまっていただきました。ありがとうございます!
11日 先日とはうって変わって、名古屋は栄のど真ん中にある巨大クラブでのDJイベントにライブで参加。あまりのギャップにパラノイアと化したメンバーに、クラブ馴れしたヤングメンたちの視線が冷たい・・・かと思いきや終盤はこっちのペース!途中から参加した「どりいむ」が客席を練り歩き、共演のキャバレッタさんもステージで腰をふり、更になぞの男「トム・シャガー」の乱入で客席も興奮の坩堝と化した!しかしCDは売れなかった・・・。あの熱狂は一体?!
18日 池下UPSETでライブ。なんとこの日をもってパーカス担当の「もやしコケシ」氏が一身上の都合によりリタイヤ!なんとなく一抹の寂しさ漂うライブであった。尚公演中にコケシ氏に卒業証書が授与される一幕も。そしてライブ後は史上初、メンバー全員揃っての打ち上げ。コケシ氏には使えない楽器、家庭のゴミなど数々の餞別が送られたうえ、「もうメンバーじゃないから・・」と話の輪に参加させてもらえなかった。
3月 25日 またもや有松祭りの実行委員会より要請を受け、JR有松駅前の特設ステージで行われた「有松春祭り」に出演。あいにくの雨、さらに朝10時のオープニングアクトということもあり客席は閑散。しかし手は抜きません!一暴れした後は、駅に隣接する「イオン」店内をまさかの練り歩きライブ!店内フロアはもちろん、エスカレーター、エレベーター内でも演奏。ギュウ詰のエレベーターがあいた瞬間の一般客のあの顔は忘れられない。
4月 28日 久々の大阪公演。ムッケン氏の主宰する、ハマーキン・ア・ゴーゴー@難波ロックライダーに出演。モッドでガレージな客層に受けるか不安であったが、反応は上々。「はじめて見た」というお客さんたちから数々の激励をうける。尚この日、対バンのギャルバンさんのベーシストが病欠、松石が急遽女装して代役をつとめるという一幕があったが、他のメンバーは外で飲んでいて気づかなかった。
6月 9,10日 サロメ、サイクロンズ、田淵純というナイスな組み合わせに、おなじみ「どりいむ」を引き連れ京名ツアー。初日京都は初出演となる拾得。良い雰囲気の店内にテンションがあがる。年季の入った楽屋で、ベース岩佐が10数年前、京都在住時に同店に出演した時のバンドの落書きを発見。皆でヤング岩佐の面影を追想する。ライブでは何故か中村氏が唄う「ネギマ節」が異常に盛り上がる。ライブ後お客さんに「あの曲が入ってないのならCDは買わない(ネギマは未収録)」とまで言われる。翌日はおなじみ得三。どりいむは手製の獅子舞をかぶって登場。会場大いに盛り上がる。
7月 7日 渋谷ネストで行われた「円盤ジャンボリー」に初出演。トップを飾る。ライブはかなり好評でCDその他グッズ売上も上々。なぜか、色紙「みつをだもの」が飛ぶように売れた。共演者の方々のライブも存分に楽しみ、爆発した温泉施設も見学し、充実した一日であった。
21日 久々に騒音寺との2マン@得三。この日は熊沢が本番に間に合わず、途中参加ということで、ライブ前半は・練り歩きスタイルによる登場〜アコースティック演奏〜久保田真琴(一緒に歩いて)、野坂昭如(サメに喰われた娘)のカヴァーなどの変化球で勝負。ちなみに野坂カヴァー時にかっつんが担当した、小豆による波の音は絶品であった。
9月 22日 鶴舞KDハポンにて、SOZORO、ばろんなかざわと世界一周楽団によるツアー「宵まち」に参加。彼らの素晴らしすぎるパフォーマンスに打ちのめされながらも、負けじとステージをこなす。「のるかポルカ」ではハポンの構造を活かしきった演出で、ドラ○もんやプ○さんを吊るした。ラストは参加者全員で「宵まちワルツ」を合奏。熱狂のうちに幕を閉じたわけだが、ストンパーズ常連客のうちかなりの数をツアー組に持っていかれたと推測される。
24日 毎年恒例、今池祭りに練り歩きライブで参加。加藤、中村、熊沢の悪ガキ三人衆が都合により欠席、「どりいむ」に応援要請するも依然苦しい編成であったが、本番直前、楽屋である得三に一人の男が現われた。仕事途中を抜け出して観にきてくれた、もやしコケシその人だ!急遽彼にも参加を要請。この日は祭り最終日で盛り上がりも最高潮、ライブは大成功のうちに幕を閉じた。尚この日、楽屋内でメインアクトである「遠藤ミチロウ」氏が後ろにいるのに気づかず、「今日、遠藤ミチロウ、観る?」などと呼び捨てで会話してしまった松石と下沢が、青ざめたかっつんにゼスチャーで存在を教えられ、脱兎のごとく楽屋から逃げ去る一幕もあった。
10月 7日 名古屋造形大学祭に出演。まず昼イチでキャンパス内を練り歩き、午後の本ステージを宣伝する。わりと閑散としていた構内だったが、ライブ直前には広いステージ前に150〜200人ほどが集まった。ライブがはじまったが、ほとんどはじめての客だったうえ、世代が若すぎるせいか?イマイチ盛り上がらない。まるで珍獣でも見るかのような目線にMCもスベリがちだ。しかし終盤、「悪ガキ」でジワジワ盛り上げ、「男前」でついに解き放たれた!!広いキャンパスを縦横無尽に走り回る熊沢、中村、ホーン隊。焚かれるスモークにガスマスクで応戦するかっつん。コスプレした学生(女子)をステージに上げ、セクハラを挟みつつ、ラストはいつも通り客席を笑いの無間地獄に叩きこんだのだった。